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2006.10.24 Tuesday広澤さん・片岡さんの対談(虎バン)
広澤「どうですか?今。ユニホームを脱ぐというふうに宣言して、そうなって、今」
片岡「ホントは実感はまだ湧いてこないんですけど、いつもの年みたいにオフになったっていう感じなんですけど。まぁでも、内心ホッとしたっていうのが一番かもわかりませんね、今」 広澤「片岡の場合は何歳から野球を始めたの」 片岡「僕は小学校3年生からです。8歳ですね」 広澤「実感が湧かないって言ったけど、これから徐々に野球を辞めたっていうのが出てくると思うけど、やっぱ寂しいよね」 片岡「そうですね、引退の発表してから、それまでいろいろ考えて、ホンマに自分で決心して言ったんですけど、次の日に新聞見たり、ニュースを見るとね、ホントに野球出来なくなってしまうんだっていう…。引退試合の当日、車で甲子園に行く時、ホントに寂しかったですね」 広澤「最後の引退試合のね、僕もプロ野球の引退した選手見てるけど、一つのチームじゃなくて二つのチームの選手が胴上げしてるっていうのは、俺は記憶にないんだけどね」 片岡「日本ハムにいた奈良原とか上田とか、仲いい谷繁とか残ってくれてね、あれはホントに感無量でしたね」 広澤「わかんなかったけど、奈良原とか上田がいたんだ。誰なんだ?って思ってたらそうなんだ」 片岡「6人いてくれたんですかね」 広澤「けっこういてたね。そうなんだ。あれはプロ野球至上初めてじゃないのかな〜って思うんだけど」 片岡「あれ以上のことを望むとね、ホントに罰が当たると思うんでね。もう最高でした」 広澤「どうですか?阪神に来て。ズバリ聞きますけど良かったですか?」 片岡「今の、今の僕の気持ちですか?あの、良かったと思います。ハム時代は育てていただいて、僕の本当に何もかもがうまく行った時代が10年あるとすれば、この5年間は悔しいこと悲しいこと、たくさんありましたけど、優勝も2回できましたし」 広澤「FAして随分苦労したと思うんだけど。2年目は良かったんだけど、心をどこに置いたらいいかわからないからね」 片岡「まぁその時は広澤さんにいろいろ教えていただいてね、本当に」 広澤「あの時っていうのは若いからわかんないよな、終わってから気がつくね」 片岡「ホントに、ものすごい明るい所に来てしまったっていう、右も左も、僕10年間、何をやってきたんかなっていう。今までみたいにいろいろな事が僕の耳に入ってきたり、新聞で言われたりするし、なんか自分がすごい悪いことしたみたいな気になるじゃないですか」 広澤「犯罪者みたいなね」 片岡「だから怖かったですよね、外に出るのが」 広澤「怖かった……野球をやっててそういう恐怖心とか?」 片岡「僕は内野手なんで、サードっていうのは強烈な打球が来るじゃないですか。今年、僕が7月に横浜線で2つエラーしたことがあったんですよ。村田がサードにいい当たりを打って、ゲッツーとれなくて、また5回で雨が降って負けたんですよ。その時に、今までもエラーしましたし、自分のせいで負けたことも多々あったんですけどね。あの時に自分のエラーで失点して、決勝点になって、まして5回終わった瞬間に大雨が降ってきて、それでもう神様が『もうお前この辺でやめとけ』と。あれから次の日からノック受けても打球が怖くなって、踏み込めなくなったっていうんですか。バッターでいうと当てられて、どう見てもいつも開いてしまってるっていう感覚になってしまいましたね。だから内野手が守備感がくずれるっていうのが多いじゃないですか、あれはホントに、球場に行くのが怖くなったっていうんですか。守るのが怖くなったんですよ。守備の面でもう辞めなきゃいけないなって思った大きな理由です」 広澤「一つは片岡、責任感強いしね」 片岡「いえいえ、そんなことないですけど」 広澤「自分のせいで負けてもヘッヘッヘってしてる選手だったらね、性格的な問題もあるでしょうけど。自分のエラーで負けた時って辛いもんね〜。俺なんか多分片岡の倍くらいあると思うんだけど」 片岡「そんなことないですよ」 広澤「平気な顔をしてると、アイツ全然って思われがちなんだけど、結構傷ついたよ」 片岡「わかります」 広澤「場面的に守りにいかされると怖くて怖くて」 片岡「球、速く感じますしね」 広澤「僕の場合には球が速いから怖いじゃなくて、自分がエラーして負ける恐怖心があったのよ」 片岡「はぁ〜〜。そりゃ終盤に行けって言われたらね、体も動かへんようになるしね。」 広澤「動かないよね。優勝争いしてる時に守備につくっていうのはイヤだよね」 片岡「アレ、たまらんすね」 広澤「なぁ。5位、6位だったらいくらでもいくけど」 片岡「打てないっていうのはあれですけど、守備で足を引っ張るっていうのはね、なんとも言えない恐怖心がありますよね」 広澤「自分が一回エラーした後、自分のとこに飛んでくると、球場が「ア〜〜ッ」って声出すんだよ」 片岡「あれはなんか知らんけど、聞こえますね」 広澤「聞こえるね、ア〜〜ッて言ってんの。ボール飛んでるあの短い間に、ア〜〜ッて言ってるよって思うとポ〜ンとやっちゃうの、あれね」 片岡「あはははは」 広澤「まぁ、その恐怖心があった」 片岡「はい」 広澤「ふ〜ん。僕らが知ってる片岡っていうのはPL学園でね、野球の名門、その後に同志社行って、それで日本ハムの中軸を打ってですね、スター街道ダ〜〜ッと来てですね、阪神きて随分苦労したなと」 片岡「いや、もう広澤さんにはいろいろと助けていただいて」 広澤「たぶんいろんな事でね、心の中葛藤したと思うし。僕の経験でいうと、全部やった事は、悪かった事も含めて絶対に自分の肥やしになると思うし。ある意味ではこの阪神に来て人間的に随分苦労したもんね。引退会見の時に言ってたけど「車の中で随分涙を流した」って。あれ良くわかるんだよな〜。」 片岡「ありましたか?」 広澤「涙とまんない時あるもん」 片岡「泣こうと思ってないのに、涙出てくる時ありますよね」 広澤「言えないしね」 片岡「見せれないし」 広澤「その苦労がいつか花咲くといいな〜と思うんだけど、今はゆっくりされると思うんですけど。来年キャンプ、自主トレすればまだやれる体なんで、なかなか難しい質問になっちゃうと思うんだけど。プロフェッショナルって何なんだっていう質問をしたいなって思うんだけど」 片岡「そうですね……プロ……自分の技術とか技量でいくらでもお金が稼げるとこだし、それがなくなった時にユニホーム脱がなきゃいけない…と思います。それがプロかな?と思いますね」 広澤「片岡、今年37だね、ここまでやればもう…」 片岡「本望です、はい」 広澤「8歳から」 片岡「プロに入って15年、できると思ってなかったですし、今終わったらアッという間じゃないですか。でも、振り返って自分でいい野球人生やったなって思えるんでね。決して僕一人の力じゃなかったですし、いろんな人に支えていただいたり、出会いがあったり、野球をしてたことで、いろんな方に出会えたりしたんで、それが僕の一番の財産ですね」 広澤「いろんな人に支えられてね」 |
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